川崎市 歯医者|イサオ歯科クリニック

完全保証制の入れ歯治療院

イサオ歯科クリニック

Isao Dental Clinic

神奈川県川崎市中原区小杉町1-527-4 メゾンゴールドA

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イサオ歯科クリニック 院長紹介

院長 松下 勲夫

院長の松下です。

院長略歴
  • 昭和30年4月2日生まれ
  • 昭和57年 福岡県立九州歯科大学卒業
  • 同年 麻酔学教室入局
  • 昭和59年 北九州市小倉記念病院麻酔科研修
  • 昭和60年 医療法人開倫会就職。
  • 横浜市の開業医 続木初彦先生に顎関節症について講義を受ける。
  • 国際デンタルアカデミー(IDA:International Dental Academy)式の教育を受ける。
  • アメリカインディアナ州、インディアナ大学補綴科を訪問する。
  • 霞が関ビルの財団法人、日本歯科研究研修協会で3年ほど、補綴の研修会に参加。
  • 他に阿部晴彦先生の総義歯セミナーに参加。
  • 歯周病の権威であるスウェーデンリンデ先生、ミシガン大学咬合科、Ash&Ramphord先生の講演に参加。
  • 平成3年 松下歯科開業
  • 横浜の横浜歯科臨床座談会で故丸森賢治先生、加藤武彦先生、銀座開業の故山本為之などに薫陶を得る。
  • 平成8年 新丸子西口歯科に移転開業
  • 平成6年頃体の調子が悪くなり、病院や診療所を転々とする。
  • その後、西洋医学をあきらめ、T.M.瞑想法と出会い、全快、それ以来東洋的な治療法に関心を持つ。
  • 平成8年 埼玉の医療法人相生会渋谷病院で、歯科の勉強会に参加。極めてレベルの高い医療に感銘を受ける(口腔内の医療という考え方に圧倒される。)。伝統,代替医療に関心を持ち、平成9年頃よりホメオパシーを知り、ついに13年にホメオパシーの学校に通う。
  • 平成14年―15年にかけて日本ホメオパシー医学会の研修終了、同年認定医師。井穴・刺絡療法は平成13年頃より実践。
  • 平成26年 医院名を新丸子西口歯科よりイサオ歯科クリニックに変更
  • 「医療が病をつくる 安保 徹 岩波書店」
  • 横浜在住。日本ホメオパシー医学会および英国ホメオパシー医学会の認定医。

院長プロフィール

幼少期

私は、福岡市博多区千代町、宝来町、潟粕地区に生まれました。三人兄弟の歳が離れた末っ子で兄達とは遊んだ経験はあまりありません。どちらかというと一人で近くの子供たちと遊んでいたような気がします。詳しい事はわかりませんが、戦後満州というところから命からがら引き揚げてきた両親は、たまに満州当時の生活や引き揚げてきた当時の大変さを話すことがありました。

後で知った満州からの引き揚げがどれ程過酷なことかも知りませんでした。そして物心ついた頃には、父の事業がうまくいかなくなりしょっちゅうその事でもめていたような記憶があります。ですから母親の仕事である乳製品の仲買業での宅配の仕事を、兄弟三人で手伝った記憶があります。

ですが、借金の為に生家を出なければならなくなり、その仲介業もそれでお終いになりました。事業とか、借金とかそのようなお金にまつわる怖さをここで体験的にしている訳です。兄達の小さい時の写真を見ても、家が裕福だった事を良く示していました。やがて小学校4年の時いよいよ行き詰まり、生家を追い出されるような形で離れました。

中学時代~高校時代

同じ福岡市の東の方に香椎というところと名島という古くからの地名があり、その二文字を取り、名香野(名島と香椎の間の野原という安易な意味です)という新興住宅街があり、その借家に2家族がベニヤで仕切って生活するという屈辱的な生活が始まったのです。

そこで小学校4年から中学、高校と過ごす事になりました。同じ町内でありながら、2~3軒離れた借家に引っ越したり、近くにある食堂の伯母さんのご主人が経営する会社に母親が転職する事になり、どちらかというと一人でカギっ子のような生活をしていました。上の兄も17~18歳ぐらいには、家から離れて居りませんでした。

父親は引っ越してからすぐに北海道に仕事を求めて旅立ち、北海道では珍しいものを購入し別の所で売るような仕事をしていたようです。器用なのですが、もともと飽きっぽく仕事より遊ぶのが好きな人でしたので、やはり又失敗して私が中学2年の頃福岡に帰って参りました。

今度は真面目に害虫駆除という会社に入りサラリーマンの生活に入ったのですが、根っからの独立心旺盛な人の為でしょうか又会社を辞めて独立いたしました。やはり勤務という自分の思いどうりにならない人に使われる仕事は嫌なようでした。

私にもそのDNAがあるのかもしれません。

中学は、公立とはいえ一学年13クラスというマンモス進学校でした。福岡県立福岡高校というのが東地区の名門であり、その高校の三分の一が同じ中学出身というものだったのです。

当然裕福な子弟は、県下一番の修猷館(しゅうゆうかん)高校や私立の鹿児島ラサール高校などに進学していたようです。香椎中学というのは、埋立地に立つ中学校だった為に、海は目の前 にあり自然といえばそれだけの中学でした。ぶよぶよと太っていた私も校庭一杯に沢山のクラブがひしめき合い練習している姿を見て、当たり前のように所属クラブを探していました。

しかし、花形の野球やサッカーではレギュラーは難しいと思い、又柔道や剣道には何故か興味は湧きませんでした。で残ったものの中でバレーかバスケット位しか目に入らなかったのです。

何となくバスケットを始めたのです。ところがキツイことこの上ない。そしてどのクラブもそうですが、年中無休、毎日、毎日、練習ばかり、休むとかそういう感じはどの部にもないのです。正月とか、お盆とかそういう時でさえ休むことに何か罪悪感を感じたものです。

それは、今になってみると、休むと体力が元に戻るのに時間がかかりきつかったからではないかと思います。ここでは、続けることの重要性を体験として持ちました。やがて同級生とともに福岡高校に入学し親にも褒められた私は、当然の如くでしたが、何か運動部を探していたのです。

福岡高校というのは、九州で二番目にラグビー部ができたところで小さい時から有名でしたし、各中学のクラブのキャプテンはこぞってラグビー部に入るような花形クラブだったのです。そしていわゆる校技だったのです。クラスマッチといえば普通はバスケットとかバレーとかだと思うのですが、福岡高校ではラグビーがクラスマッチでやられていた程ですから。

全国制覇の記録を持ち、一つ上は早稲田のキャプテンとか全日本、二つ上は全日本クラスがうようよいるような環境でした。なんとかなると思って入ったラグビー部ですが、怪我を機に退部を余議されなくなりました。

人生最初の挫折でした。

急に運動を辞めても何かすることもなく、結局成績もあがらず屈折した高校生活を送る事になります。何か目標がないとダメでしたが、そこで芽生えたのは、有名大学とか資格を取る事へのわずかばかりの執着です。当時はやはり東大よりも国立医学部が最難関でした。それとともに国立歯学部も当然難関だったような気がします。どちらかというと東大より医師にあこがれが強かったようです。

しかし、根っからの勉強嫌い、特に高校の授業は受験勉強以外の何物でもないからつまらないものでした。ですから苦痛を抱えながら受験を迎えることとなります。

学生時代

いろいろな経過で九州歯科大学に入学した私は、受験の苦しさから解放され少しは開放感を味わうつもりでしたが、やってきたのは単科大学という特殊性から来る鬼の先輩からのクラブ勧誘でした。

どこでもそうですが、最初はお客さん、それもありとあらゆる縁故を使い勧誘してきます。出身地、高校、同じ下宿だからとか本当にありとあらゆる縁故を使い勧誘してくるのです。

「お前はもう決まっとうと!逃げられんけんね!」とか「体験入部やけん、嫌なら止めてもいいバイ」とか飴と鞭を使い勧誘されます。だから、色々なところに連れて行かれても何も飲まず、食べずという姿勢を貫いていたのですが、つい食べましてそれが運のつきと なり高校で挫折したラグビーをもう一度やることになったのです(なんと安いドラフト料金でしたか。ピザ一枚とは)。わずか一学年120人程度ですから大したものではないと思われたクラブの練習ですが、やはりラグビーはきついの一言です。後にも先にも肉体的にかような負荷をかけたのは、学生時代の6年間以外にはないと思います。

何やかやありましたが、授業中はほとんど練習の為の休息?時間に当てられ、練習の前には睡眠十分で練習をするというような毎日でした(笑)。

北九州にある大学だからかもともとの校風かわかりませんが、両方の影響で、ある意味古い体質、ある意味で人情の塊のような地域と学校でした。

バンカラを通り越して豪快そのものの学生生活を6年間過ごしました。学生時代は練習と 大学祭、アルバイトと宴会ぐらいしか記憶がなくとにかく良く走っていたな~という感じです。

激しい練習でつかんだことの中には、職場に於ける人間関係にも当然当てはまることがあります。膝が痛い時、腰が痛い時、風邪で体がだるく咳が出ている時、ラグビー部での処方はただ一つ。「走れば治る!」試合で倒れた時の薬はヤカンの冷たいお水のみ あ~ら不思議な事によくなります。体を動かし何かをやっていれば不調は治まるということでしょうか。又、やる気のない人間をどうすればやる気にさせるか、このことも卒業後誰もが悩む事ではないでしょうか。

そのような中で、本さえまともに読まなかった私に最初に影響を与えたのは、医療法人徳 洲会、徳田虎夫氏の「命だけは、平等だ」という本でした。丁度骨折し入院したりして落ち込んでいた時に読んだ本ででもあったからです。それから進路を考えるようになり、たまたま新聞で読んだ全身麻酔を使い重度の身障者を治療をする歯科医院に見学に行く事になり、卒業後麻酔科へ進学することになりました。

入院は最初救急病院で、それからそこが危ない?という周囲の意見で小倉の記念病院への転送となります。卒後の臨床研修病院がそこであったのは、今考えると縁があったとしか思えません。

卒業したら、歯科の勉強は全然しなくなるので卒業前は何故か一生懸命臨床の先生について教えてもらった記憶があります。卒後殆ど使えないような知識と技術ではありましたが。

大学院時代

一応試験を受けて合格した大学院でしたが、学生時代とは違い理想と現実に悩む日々が続きます。またその頃痛めた首の骨の障害と精神的落ち込みで大学を辞める事にしたことです(練習もあまりせず、ラグビーでいうところの危険なポジション、スクラムの一番前のポジションで強い相手の力で首を強くひねってしまったのです)。

大学院での唯一の成果は、学生時代入院して手術した記念病院での研修でしょうか。医師の研修というものが、どういう風に行われているか体で体験できたからです。

ですから、歯学部付属病院での麻酔科の立場や研修のあり方に強い懸念を持ったことや経済的な事、体の怪我や臨床と臨床以外での悩み、一番大きいのはアルバイトでの歯科での治療に自分の能力のなさを感じ焦りが生じたことでしょうか。

もっと勉強したい気持ちも強かったのですが、精神的についていけませんでしたので心と体の痛みを抱えながらの旅立ちとなりました。色々病院とかで治療を受けましたが、左の首から腕にかけての痺れと痛みは強烈で、治療費を稼ぐためにも、技術を磨くためにも歯科の治療技術を覚えなければなりませんでした。

人生二回目の大きな挫折でした。

勤務医時代

もう一度麻酔を勉強する為にも稼ぐ能力を身につけなければと思い、人手が足りない先輩の診療所にお世話になることになります。しかし、患者が多くさばくだけの診療となり、首の痛みやしびれも出たりで何とかしたいと思いながらも、先輩の都合で分院の院長をすることになり、仕事のスキルを磨くよりマネージメントをすることになり、限界を感じました。

それで、約3年で辞めて東京や埼玉の普通の診療所に勤めながら体を治療し、稼いだお金で歯科の専門セミナーに行くという事をしていました。ただ、そこで解ったことは、セミナーなる講習は勉強にはなりますが、決して能力を高めるほどのものはないという事実です。

技術は聞いて、見て、やって、考えるという事を繰り返さない限りうまくならないという 事実です。

東京では有名なスタディーグループという開業歯科医の集まりの発表会に行ったり勉強会にいったりしましたが、特別うまくなるような感じはありませんでした。でも自信満々でしたが(笑)。

開業してから

関東地方での生活も長くなり、生まれ故郷である九州に帰ることも考えられなくなり自然の流れで関東地方で開業したくなったのです。それは、勤務医では好きなような事ができないというジレンマや、同級生が次々に独立することに対する何か焦りのようなものがあったからかもしれません。

色々あたりましたが、先輩からのアドバイスもなく自分の力だけで判断しようとすると、なかなかうまくいきません。最終的には、自己啓発系のセミナーに行きまして心が高揚するというステップを踏んで、やっと決断ができたわけです。

ですが、心が高揚しても事前の準備は周到にする必要があったのにもかかわらず、費用をかけない事と都会に憧れていた為にとりあえずと言っては申し訳なかったのですが、見切り発車で居抜の物件に手を出してしまい、それ以降悩む事になります。

誰かが撤退したものですから、十分注意しなければいけないのは当たり前なのですが、とにかく安く開業できる魅力に、お金がなく、開業したいのにできない気持ちが危険を超えて心を動かしたのです。

居抜の物件が悪いのではないのですが、何故前任者が出て行ったのか、その場所の土地柄 とか発展性とか殆ど調べずにやってしまったのです。沢山の物件を見たから大丈夫という 自信は何の根拠もない自信に過ぎなかったのです。全体的に物件を紹介する方は歯科の材料屋さんが殆どですが、返事を早くさせる傾向にあり素人には太刀打ちできないところがあります。

どちらにしても全ては自分の判断ですから、結果は自分で責任を負わなければならないのですが、怒りはどうしても材料屋さんとか周囲に向かってしまったのです。又開業してすぐに母親が脳梗塞の為に失言症になり、さらには、父親も脳梗塞となり老夫婦で生計がたたず、生活の援助をしなければならなくなったのです。

開業に伴うプレッシャーと従業員との関係がうまくいかない事や経費節減がうまくいかず、経費節減の為にあらゆることをやることになり、不眠症と体のだるさ、体調不良によりだんだん仕事どころか日常生活さえもまともにできなくなってきたのです。いよいよ不調が激しくなり病院に行ったりしたのですが、短い診察と薬だけの治療には最初から期待はできないようでした。

薬ではなくこのようなプレッシャーの中で私が選んだ方法は、T.M.瞑想という心をリラックスさせる方法です。とにかくこの悲惨な状態から何とか逃れられるものならなんでもいいというのが正直な気持ちでした。http://www.maharishi.co.jp/tm/

3日も品川に通い、瞑想方法を体験しそのあまりにも劇的な変化に心と体の関係を強く感じたものでした。診療所を閉鎖し暫く体を休める事は決めていたのですが、清算すること程後ろ向きで嫌な作業もありません。

残りの資金を使い暫く体を休め元気を回復した後に、兄弟に頼んで保証人になってもらい もう一度開業することにしたのです。決めては、物件業者から立地としての致命的欠陥を説明され現在地での集客が無駄だと解ったからです。移転するしかない事を決意しました。

ですが、担保もないし、現金も少ないようでは難しいと思っていたのですがとにかくやってみようということで、テナントを当たり、そのオーナーに掛け合うということで望みをつないでいました。でも現実は厳しいの一言でした。

たまたま、物件的にも気に入ったテナントがあり大家の不動産屋に交渉に行きました所、銀行を紹介していただきもしかしたらという望みが出てきたのです。やはり担保か身内の保証人、そして担保がない時は信用保証協会で保証が取れないかということになり、はじめて担保がなくても事業をしていればお金が借りれるという事実を知りました。それまでは、付き合いをしていた某銀行さえ担保がなければけんもほろろであったのに比べると天国と地獄の差でした。

すぐに清算せずに診療所を曲がりなりにも営業していた事と借金が少なかった事が幸いしていたのかもしれません。大きな転機は、父親の死でした。診療所の清算と静養の為仕送りができなくなり本当にベストタイミングであったと思います。

体を回復させて、約4年間の短い間でしたが、元矯正診療所であったところをすべて解体しました。

人生三回目の挫折でした。

ただ、この間に横浜の著名な先生方のスタディーグループで定期的に勉強する機会があり、義歯を徹底的に学び、入れ歯の知識と技術が飛躍的に向上した時期でもありました。又,技工所として有名なコアデンタルとの付き合いができ、一流の歯科医院と取引している技工所のレベルの高さを感じたものです。頻繁に伺い技術的な指導を仰ぎました。これは、今の私の義歯のレベルを高める土台にもなったのです。

新丸子西口歯科(現:イサオ歯科クリニック)を開業して

以前の失敗に懲りて事前の情報収集はかなりやりました。でもどんなに頑張っても時間は 無限にある訳ではないので、どこかで決断しなければなりません。

新丸子はいいところです。歯医者さんが多いところを除けば(笑)

平成8年3月父親の葬儀を済まし、10月よりいよいよ新規に開業することになりました。今回は、十分に下調べをやりましたが、やはり開業費用の関係で設備や内装にはあまりお金をかけていません。それでも以前と違い人通りは多いしありがたい事に患者さんにもいらしていただきよかったと思っています。

この頃から、埼玉県の歯科総合病院の勉強会に出るようになり、天変地異のようなカルチャーショックを受けることになります。大学病院並みの規模を誇るそこでは、入院施設もあり、頻繁に全身麻酔を含む大掛かりな手術から、少しマイナーな小規模の手術まで手術室という隔離された場所でやっていたのです。医療法人相生会渋谷病院・・上尾市愛宕1-3-2 (048-771-0110)

歯科の治療も大学で習った大工的なものと違い、科学的な思考で病気を治すというスタンスで取り組まれていて、削るとか被せるとかいう発想はなく、とにかく歯や歯周組織が健康になる為にはどうすればよいかを徹底的に追及していたと思います。

30年以上前から定例会で議論していた内容を、論文として雑誌に掲載していたようです。著者の本はまだ若かりし頃読んで、全く理解できなかった事を憶えています。でも卒業して臨床をやり、スタディーグループや講習会、保険の事などを経験すると何故今、歯科界がこのような状態なのか、行く末はどうかなどが解ってきて驚いたのを憶えています。

もちろん、臨床においても学びが多く、歯の治療とか歯周病の治療、入れ歯のこと、矯正歯科の事、口腔外科の事などが体系的に理解できました。

今は例会に参加することもなくなりましたが、雑誌だけは定期的に読んでいます。例会に参加しなくなった理由は、費用の面だけでなく両親や私自身の病気を契機に、病に対する見方が変わったからです。

もう医師の言うことを素直に聞けなくなった私は、歯科よりも病気について強く意識するようになり、何故沢山の方が病から逃れられず薬を飲み続けそのことにより副作用で苦しんでいるのか調べたくなったのです。

まず、歯科でやっている歯を削るという処置はなるべく避けるべきこと、逆にバイ菌の塊である虫歯は徹底的に取り残しがないようにすること、神経といわれる歯の中の血管を傷つけないようにすることが大事だと思うようになりました。

顎関節症といわれる顎の病気が、精神的ストレスや薬の副作用によるものが多いということ、舌の異常も体の異常の反映であるということを強く感じるようになりました。

神経の治療が治りにくい人がいたり、歯周病がひどい人とそうでない人の違いが何故あるのかわからなかったのですが、そこに全身的な免疫系の異常もあるとしか思えなくなりました。

精神的プレッシャーから、病が起こるという当たり前のことを体験的に自覚しT.M.瞑想というものを知ってから、心と体に関する事に興味がありまして、そこからインドのヨガ、アーユルベーダなどに興味がわき勉強しました。その過程で世の中には西洋医学とは違った不思議な治療法があることを知りのめり込む事になります。

まずは、自律神経免疫療法と呼ばれる鍼灸の一派ですが、痛みの治療に圧倒的によく効きますし、他にもよく効く方法は沢山あります。

http://www.immunity.jp/ 日本自律神経免疫治療研究会

そのような中で強く引かれたのは、波動治療と言われるものです。何故か訳のわからない 波を作る機械で作った波動を転写した乳糖を摂取するだけで、体の自然治癒力が動き始めて病気が治る事を後輩の先生から教えられたのです。

彼の父親は、何かの病気で西洋医学の医師から後何か月かの命と宣告されたのですけれど、ドイツ製の波動機器から測定した体の歪を波動装置から作った波動を転写したものを摂取して治癒させたのです。『ドイツの波動機器』(サンロード出版)

それから、平成9年たまたまメルマガで知りました、ドイツの代替医療情報からホメオパシーというとても良く効く治療法の事を知り最初は独学、後はそれらを教えている日本の学校で学びました。ただ、費用がかさみよくわからない事が多いので、平成12年に設立された日本ホメオパシー医学会でのセミナーを受けています。

http://www.jpsh.org/ 日本ホメオパシー医学会

現在はさらにインドの天才サンカランという方が用いてる方法を学びたく勉強中です。 http://www.homeopathy-shijuku.jp/ ホメオパシー私塾

現在の目標

現在は、歯科の治療も大事ですが、何故歯が悪くなるかを考えるとベストな治療には時間と手間をかけないと難しいことがわかりますし、最高の治療をしようとすれば、設備やその他にかなりの投資をしなければならなくなります。それのみならず予防、それは一度治療したところが悪くならないように検診でずーとチェックしメインテナンスし続けなければならないとか、もともと健康な人がチェックだけをして予防処置の為に来院するような施設の方がいいのではと思っています。

歯とか触られるのは、誰しも嫌ですから完全な治療をめざし、そのあとはメインテナンスでずっとチュックすることが理想です。

そして究極的には、何か嫌なことをやる診療所ではなく、そこに行くだけで何か楽しいとか安心するような癒しの場になれたら最高だと思うようになりました。

それは、一流のホテルやエンターテインメントの東京ディズニーランドで働いている方々の講演を聞いて思うようになったのです。

http://www.ritz-carlton.co.jp/ ザ・リッツ・カールトン大阪

http://www.tokyodisneyresort.jp/ 東京ディズニーランド

「人生に於いて必要なものは、愛と勇気とすこしばかりのお金である」…チャーリーチャップリン 勇気を出して前に進みたいと考えております。

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